1998年 初めてのネパール バックパッカー旅行

1998年、初めてネパールに行きました。

小説「深夜特急」を読んで一度行ってみたいと思っていた国でした。

タイのバックパッカーの聖地、カオサン通りでタイからネパールまでの飛行機の格安チケットを買って飛行機に乗りました。

ネパールの首都カトマンズの空港が近づくと、飛行機の窓から見える景色は赤レンガの家がたくさん見えました。

まったく日本とは違う風景に、「ここは、日本と同じ地球の上なのか、まったく違う世界がある」ととても感動しました。

当時のネパールにはコンビニもないし百貨店もないし、主な買い物は道路に並ぶ個人店か道路脇の路上の露店でした。買い物のしかたもお店も日本とはまったく違う雰囲気でした。

ネパールの人はとても温かく人情があって、当時の日本人のようなガツガツ感が全くなかったのでとても心地よかったです。

泊まったホテルは1泊300円ぐらいの民宿だったので、そこで働いている従業員の人もオーナーも堅苦しいルールがなく、すぐに仲良くなってみんなで遊んでいました。夜までたくさん話したりして面白かったのと覚えています。

ネパールは仏教国で、仏教寺院も多く、釈迦族の末裔と呼ばれる人たちが多く住むパタンという町にいったときに、雑貨屋さんでペンケースの雑貨を仕入れました。たしか2000円ぐらいのお金を使いました。

その帰り道に、たまたま紅茶専門店をみつけて、紅茶がはいっている袋がきれいだったので、ペンケースを売る時の「おまけ」にしようと思って、紅茶を買いました。

それが、紅茶専門店を起業する最初でした。(つづく・・・)

1997年 中国の北京 初めての海外旅行

1997年、大学生のときの初めての海外旅行は、1人旅で北京でした。

パックツアーではなく、最初の3泊だけホテルを予約して、後の4泊は現地についてから自分で探そうと思ってました。

映画「スワロウテイル」や、小説「深夜特急」を見て、海外、特にアジアにとても興味を持っていました。

このころの北京は、自動車より自転車の方が多かったです。

天安門前のメインストリートは、車道が5車線以上あるようなとても大きな道路だったのですが、車は1車線ぐらいしか使っていなくて、残りの4車線は全部、自転車でした。

赤信号から青信号になると、一斉に自転車が動き出す姿をみて中国の人の多さ、パワーの多さに圧倒されました。

日本を出て初めての海外だったので、見るものすべてが新鮮でこれまでの日本の常識とは違う世界が海外にあるという実感を持ちましたので、帰国後は大学を卒業して大企業に入社するという一般的な道に対してますます懐疑的になっていきました。

そして、さらにアジアを見たいと思って、タイやネパールやインドに行くことになり、旅先のネパールで本場の紅茶商人と出会い、紅茶の輸入で学生起業することになったのです。。。。 (つづく・・・)

中国 北京への7日間の旅行 北京の空港で「お父さんは?お母さんは?」と聞かれる (^^;

中野光崇(なかのみつたか)1976年4月22日 山口県下関市生まれ 下関西高校卒業 立命館大学経済学部卒業 / 紅茶専門店 京都セレクトショップ 代表(会社サイト

大学の在学中、
大学の授業にはほぼ出席せずに(月1回出席するのみ)
日雇いのアルバイトで貯めたお金で、アジア全域をバックパッカーで旅行。

当時は、猿岩石の世界一周旅行や、沢木耕太郎の「深夜特急」などを読んで、世界をリュックサック一つで、バックパッカーしている人たちがとても多かった時期。

●中国、北京への旅

海外への旅行は、まずは、中国の北京から。

1997年ごろは、まだ中国は発展過程で、首都の北京でも、天安門の前の大きな道路、8車線ぐらいある道路でも、そのうち、7車線は自転車が大量に通っていました。車といえば、日本の軽自動車よりも小さい車がわずかに通っているだけ。

朝、起きて道路を散歩すると、道路わきに屋台がでていて、そこで揚げパンなどが売っていて、仕事に行く人たちが出勤前に、買っていました。

チェーン店などは、ほとんどなく、個人店ばかりで、人情あるお店や人たちがとても多かったです。

道を聞くと、中国の人はその目的地までいっしょについてきてくれたり、本当、人の好さに人情を感じる時代でした。

まだまだ物価もとても安かったので、日本の5分の1ぐらいの感覚で、貧乏な学生が旅行するにはとても旅行しやすかったのを覚えています。(1日2000円ぐらいの予算で旅行していました)

初めての海外旅行でしたが、1人旅で7日間の予定で、ホテルは一応、半分は日本で予約していきましたが、それ以外の日程は現地についてから、ホテル探しをしてました。

初めての海外への飛行機にのって、とても不安で、隣に座っている外国人に話かけて、北京の様子を聞いたり…

北京の空港に着くと、夜9時ぐらいで、どうやって、ホテルまでいったりいいかがわからず、空港内でうろうろしていると、中国の人から

「あなた1人? お父さんは? お母さんは?」

って、聞かれました。(^^;

20才だったんですけど、身長も低いし、幼くみられることが多かったので、子供が1人で空港をうろうろしていると思われていたようでした。(笑)

同情されたのか、空港からホテルまでいっしょについて行ってくれる、という中国人の空港職員の人がいて、いっしょにタクシー乗り場まで行ってくれて、運転手の人に目的地までちゃんと話をしてくれました。

おかげで、無事に、北京の空港からホテルまで移動ができました。

(つづく・・・)