中国 北京への7日間の旅行 北京の空港で「お父さんは?お母さんは?」と聞かれる (^^;

中野光崇(なかのみつたか)1976年4月22日 山口県下関市生まれ 下関西高校卒業 立命館大学経済学部卒業 / 紅茶専門店 京都セレクトショップ 代表(会社サイト

大学の在学中、
大学の授業にはほぼ出席せずに(月1回出席するのみ)
日雇いのアルバイトで貯めたお金で、アジア全域をバックパッカーで旅行。

当時は、猿岩石の世界一周旅行や、沢木耕太郎の「深夜特急」などを読んで、世界をリュックサック一つで、バックパッカーしている人たちがとても多かった時期。

●中国、北京への旅

海外への旅行は、まずは、中国の北京から。

1997年ごろは、まだ中国は発展過程で、首都の北京でも、天安門の前の大きな道路、8車線ぐらいある道路でも、そのうち、7車線は自転車が大量に通っていました。車といえば、日本の軽自動車よりも小さい車がわずかに通っているだけ。

朝、起きて道路を散歩すると、道路わきに屋台がでていて、そこで揚げパンなどが売っていて、仕事に行く人たちが出勤前に、買っていました。

チェーン店などは、ほとんどなく、個人店ばかりで、人情あるお店や人たちがとても多かったです。

道を聞くと、中国の人はその目的地までいっしょについてきてくれたり、本当、人の好さに人情を感じる時代でした。

まだまだ物価もとても安かったので、日本の5分の1ぐらいの感覚で、貧乏な学生が旅行するにはとても旅行しやすかったのを覚えています。(1日2000円ぐらいの予算で旅行していました)

初めての海外旅行でしたが、1人旅で7日間の予定で、ホテルは一応、半分は日本で予約していきましたが、それ以外の日程は現地についてから、ホテル探しをしてました。

初めての海外への飛行機にのって、とても不安で、隣に座っている外国人に話かけて、北京の様子を聞いたり…

北京の空港に着くと、夜9時ぐらいで、どうやって、ホテルまでいったりいいかがわからず、空港内でうろうろしていると、中国の人から

「あなた1人? お父さんは? お母さんは?」

って、聞かれました。(^^;

20才だったんですけど、身長も低いし、幼くみられることが多かったので、子供が1人で空港をうろうろしていると思われていたようでした。(笑)

同情されたのか、空港からホテルまでいっしょについて行ってくれる、という中国人の空港職員の人がいて、いっしょにタクシー乗り場まで行ってくれて、運転手の人に目的地までちゃんと話をしてくれました。

おかげで、無事に、北京の空港からホテルまで移動ができました。

(つづく・・・)